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青森地方裁判所 昭和43年(ワ)247号 判決

原告

光ハイヤー株式会社

代理人

小山内績

被告

須藤義美

代理人

金沢茂

金沢早苗

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金三七万一、二六三円およびこれに対する昭和四三年八月三一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、また被告の主張に答えて、つぎのとおり述べた。

一、請求の原因

(一)  被告は、昭和三八年一月一〇日から昭和四一年七月二五日まで原告会社に雇われ、自動車運転手として勤務していたものである。

(二)  被告は、昭和四〇年一月二三日午後七時五〇分ころ、原告会社の自動車を運転してその業務に従事中、青森市大字新城字平岡二五五番地中村豊方前道路において、前方注視義務を怠つた過失により同道路前方を横断歩行中の国鉄職員訴外森国光に右自動車を衝突せしめ、よつて治療三か月以上を要する後遺症を残す重傷を負わせた。

(三)  原告会社は、被告の使用者として右訴外人に対し、右事故による損害賠償として別紙支払明細書のとおり金九三万一、二六三円を支払つたが、その後自動車損害賠償責任保険金五六万円の支払いを受けたので、これを控除した残額金三七万一、二六三円につき被告に対し民法第七一五条第三項により求償権を有する。

(四)  そこで、原告は、被告に対し右求償金三七万一、二六三円およびこれに対する本件訴状副本送達の日の翌日である昭和四三年八月二一日から支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告の主張に対する答弁

(一)  被告の主張(一)を否認する。被告は、既に道路交通法違反罪により一二回も処分を受けているもので、性格が粗暴で交通法規を遵守する意思が乏しい。被告は、九メートル前方で被害者を発見し五、六メートルに接近して急ブレーキをかけているが、もし前方注視義務を怠らなかつたならば、それより遙か手前で被害者を発見し本件事故を未然に防止することができたはずである。被告は、本件事故につき業務上過失傷害罪で起訴され、罰金一万円に処せられたが、これに対し異議を申立てなかつた。このことは被告が自己に過失があつたことを認めていたからにほかならない。

(二)  被告の主張(二)を争う。利益の存するところ損失もまた帰せしむべきとの考え方は、わが法制上企業外の第三者との関係について認められているのみで、企業内部間においては認められていない。過失により使用者に損害を蒙らしめたことは、使用者に対する雇傭契約上の債務不履行であり、被告主張のとおりであるとするならば、交通事故以外の被用者の債務不履行にも拡張しなければならないこととなり、被告の主張が採用すべからざることは明白である。

また本件においては、原告が被告に対し過重労働を強いたとか、車輛に故障があつたとかの原告に責められるべき事実がなかつたから、被告の権利乱用の主張は理由がない。

被告は、原告が任意保険に加入すべきであつたと主張するもののようであるが、原告が任意保険に加入していたとしても、保険金を支払つた保険会社が被告に対し求償権を行使することになるから被告の責任は原告が任意保険に加入していたと否とにかかわらず差異がないから、被告の主張は理由がない。

(三)  被告の主張(三)を争う。原告が森国光に支払つた損害賠償金は、同人の過失をも考慮して決定したものであるから妥当な金額である。

第二、被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因事実に対する答弁および主張として、つぎのとおり述べた。

一、請求の原因事実に対する答弁

請求の原因事実一を認める。

同事実二のうち、被告に前方注視義務を怠つた過失があるとの点は否認し、森国光の傷害の程度は不知、その余の事実を認める。

同事実三は不知。

二、被告の主張

(一)  本件事故の発生につき、被告になんらの過失もなかつたから、原告は被告に対し求償することができない。

すなわち、被告は、本件事故当時本件自動車を運転して、青森市新城方面から同市西滝方面へ向け進行中であつたが、事故現場付近にさしかかつた際、自車右斜め前方を同一方向に歩行進行中の森国光を認めたので速度をそれまでの時速四〇キロメートルから二〇ないし二五キロメートルに減速し、さらに警音器を二度鳴らして進行を続けたところ、それまで直進していた同人が突然走り出して自車直前を横断しようとしたため、なんらかの措置をとるいとまもなく本件事故が惹起したものである。このように、被告は、森国光を認めるや減速しかつ警音器を鳴らしているのであるから、これにより相手が自車に気づいたものと考えるのは当然であり、かかる場合に相手が突然自車直前を走つて横断しようとする行動にでるということは、通常の運転者の予想できるところではないからである。

本件事故当時、森国光は、多量の飲酒をしてかなりの酩酊状態にあつたもので、そのため本件自動車に気づかずに突然右のような行動に出たものと考えられる。被告が同人を認めたときはその歩行態度に異常な点はなかつたから、同人が飲酒酩酊状態にあるかも知れないことを予測して運転すべきであると要求するのも無理なことである。

(二)  仮に、被告になんらかの過失があつたとしても、原告の本訴請求は信義則に反し、権利の乱用として許されない。

すなわち、使用者が被用者の不法行為に対し責任を負うゆえんは、他人を使用するものは、これを支配しその労働力を利用することによつて自己の社会的活動範囲を拡張し、それだけ多くの利益を収めるものであるから、その拡張された範囲において発生した損害は利益の存するところ損失もまた帰せしむべきものとして使用者が賠償すべきであるとする考え方、あるいは社会生活に危険を作り出したものは、その危険の実現に対して責任を負うべきだとする考え方に基づくものであり、これらの考え方からすれば、民法第七一五条第三項は個々の事件に応じて制限的に適用されるべきものである。

これを本件についてみるに、原告は、タクシー会社として被告ら運転手を雇傭して収益をあげているものであり、その業種の性格上事故による損害発生の危険はかなり大きいものであることは当初から予想されているものであること、また予め事業から生ずる危険に対処するため通常強制保険だけでなく任意保険の制度の利用によつて他にすべて転嫁するという方法がとられているのであり、原告も任意保険に加入しうる能力を有していたこと、原、被告は会社とそれに雇われていた一運転手という隔絶した経済的地位にあること、本件事故についての被告の過失は仮にあつたとしても極めて軽微なものであつたこと、以上の事実を考えると、原告の被告に対する求償権の行使は信義則に反し、権利の乱用として許されないものといわなければならない。

(三)  仮に右主張が理由がなく、かつ被告にもなんらかの過失があつたとしても、その過失は極めて軽微であり、前記(一)のとおり森国光の過失こそ極めて大であつたから、本件事故による損害賠償額の算定にあたつては、同人の過失をも斟酌して適正に過失相殺されなければならない。

右観点からすると、原告の支払つたとする損害賠償額は不当に高額に失する。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一被告が昭和三八年一月一〇日から昭和四一年七月二五日まで原告に雇われ自動車運転手として勤務していたこと、被告が昭和四〇年一月二三日午後七時五〇分ころ原告の自動車を運転してその業務に従事中、青森市大字新城字平岡二五五番地中村豊方前道路において同道路前方を横断歩行中の国鉄職員森国光に右自動車が衝突し、同人に傷害を負わせたことは、当事者間に争いがない。

二本件事故発生原因について判断する。

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

1  本件事故現場は、青森市西滝方面から同市新城方面に向う東西に通ずる国道上であつて、現場付近の右国道は歩車道の区別がなく、見とおしは良好であること、本件事故当時における右国道の状況は積雪のため道路両端にそれぞれ幅一メートルくらいに雪が積み上げられ有効幅員は6.8メートルで、凍結していたこと。

2  被告は、事故当時本件自動車を運転して青森市新城方面から同市西滝方面へ向け前記国道を時速四〇キロメートルで東進中、本件事故現場付近にさしかかつた際、同道路右側(南側)を同一方向に歩行進行中の森国光を右斜め前方約二〇メートルの地点に認めたが、そのままの速度で進行したところ、同人に約九メートルの距離に接近したとき、同人が進路前方の道路中央付近に進出してきたのを発見したので、時速二五キロメートルに減速し、警音器を二回鳴らしただけで、同一方向に同道路左側(北側)を歩行進行中の知人蝦名藤次郎を前方三〇メートルの地点に認め、これに気を奪われ、森国光の動静に対する注視を怠つた過失により、さらに約3.4メートル進行した地点で同人が自車前方を横切ろうとしているのを発見して危険を感じ、急制動の措置を講じたが及ばず、自車前部を同人に衝突させ、よつて同人に対し約六〇日間の安静加療を要する左脛骨々折を負わせたこと。

3  他方、森国光は、飲酒のうえ右国道右側を西滝方面に向け歩行進行中、同道路左側を同一方向に歩行進行中の知人蝦名藤次郎を認め、これに追い付こうとして同道路を左側へ横断しようとし、これに先き立ち自動車の有無を確認したところ、本件自動車のライトを認めたが同車が接近していたにもかかわらず、酔いのためかなり遠方にあるものと判断を誤り、かつフード付アノラツクを着用していたため被告の吹鳴した警音器の音に気づかず、同車の前方を横断せんとした過失により本件事故が惹起したこと。以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

してみると、本件事故は、被告の前方不注視による過失と森国光の酔いによる判断の誤りおよび本件自動車の直前横断の過失との競合に基因して惹起したものというべく、その過失の割合は同等と解するのが相当である。したがつて、被告にはなんらの過失もないとする被告の主張は採用することができない。

三本件事故による森国光の損害およびこれについての原告の支払いにつき判断する。

〈証拠〉を総合すると、森国光は、国鉄職員として勤務しているものであるが、本件事故による受傷のため入院加療を受けなければならなくなり、治癒後も痛みがとれず神経障害が残つていて、急いで歩くとびつこになること、これがため斎藤外科整形外科診療所の治療費金二五万〇、四〇〇円、休業による給料等減額金八万八、四一〇円、マッサージ料金二万二、八〇〇円、湯治料金七、九〇〇円、交通費金九、七九〇円、アリナミン代金八、七五〇円、診断書料金九〇〇円(三通分)、特殊靴代金二、五八〇円以上合計金三九万一、五三〇円の財産上の損害を被つたので、原告は、同人に対し右損害賠償金三九万一、五三〇円の支払いのほか、慰藉料金四三万五、〇〇〇円以上総合計金八二万一、五三〇円を支払つたことが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。もつとも、証人森国光の証言および原告代表者三上保の尋問の結果によると、森国光は右のほか入院加療中の付添料、弘前大学付属病院および川島外科医院での診断料を要し、これを原告が支払つたことがうかがわれるけれども、その数額を認めしめるに足る証拠がないので、これを認容することができない。

四被告は、原告の被告に対する本件求償請求は信義則に反し権利の乱用として許されないと主張するので、この点につき判断する。

被告は報償責任あるいは企業責任の立場をとり、利益を収める者、危険を創出した者が責任を負うべきであり、企業から生ずる損失を被用者に負担させるのは妥当でないとか、使用者は事業から生じうる危険を保険等の制度の利用によつて他に転嫁する能力を有するし、使用者と被用者とは経済的に隔絶した地位にあるとの理由から、当該被用者の行為が軽過失による場合には一般に求償権の行使を信義則によつて制限できると主張するけれども、賃銀の低廉、労務の過度、企業施設の不十分、規律のみだれ等が当該被用者の加害行為の原因となつており、かつ当該被用者の行為が軽過失による場合においては、信義則上使用者による求償権の行使が権利の乱用として制限さるべきものと解することができるけれども、被告主張の事情から直ちに求償権の行使が信義則に反し権利の乱用となるとすることは、解釈論としては無理である。

そして、本件全証拠によるも、賃銀の低廉、労務の過度、企業施設の不十分、規律のみだれ等が存し、これらが被告による本件事故の原因となつていたことを認めることができないから、被告の右主張は理由がない。

五被告は、原告が森国光に支払つた損害賠償額は高額に失するから、相当額をこえる部分については被告に求償することができないと主張するので、この点につき判断する。

使用者が被用者の加害行為に基づく不法行為につき被害者に対し損害賠償の支払いをしたとしても、損害分担の公平上、使用者が被用者に求償できるのは損害賠償として相当な範囲に限られ、その範囲をこえる部分についいては求償することができないものと解するのが相当である。

本件事故は前記二で認定したとおり被国と森国光の過失の競合に基因して惹起されたもので双方の過失は同等であることその他諸般の事情を考慮し、前記三認定の損害額を基礎として算定すると、原告が森国光に対して支払うべき損害賠償の相当額は、財産上の損害については金二〇万円、慰藉料については金二五万円以上合計金四五万円をもつて相当と認める。

ところで、原告は本件事故に伴ない自動車損害賠償責任保険金五六万円の支払いを受けたことを認めているから、前記認定にかかる相当な範囲の損害賠償金四五万円の支払いについては既にその損失の補填を受けているものというべく、原告は被告に対しその求償をすることができない。

したがつて、原告の被告に対する本件求償請求は理由がない。

六よつて、原告の被告に対する本訴請求は失当であるからこれを棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(辻忠雄)

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